先日祖母の一七回忌で帰省しました。
102歳で旅だった祖母の死に目に会えなかったことは、私の人生で唯一悔いの残ること…ですが、その時はドイツ駐在中で、4人目の出産直後、帰国が叶いませんでした。
一緒に暮らしていた祖母は、私にとって母のような存在でした。共働き家庭であったため、食事はもちろん、参観日や保護者会もすべて祖母が来てくれました。ピアノや勉強を見てくれたのも祖母でしたし、私という人間の核は、祖母によって出来上がったと思います。
祖母は明治生まれでしたが、先進的な考えの持ち主で、戦前に小学校教諭として働き、女性も仕事を持って自立することは当たり前だと教えられました。
人間は最終的には一人だとも言っていました。祖父や子どもを早くに亡くしたこと、戦争などが背景にあったと思いますが、一人でも生きていける精神力のようなものを伝えたかったのだと思います。
祖母の精神は、常に自立・自律していました。泣き言は一切言わず、常に明るく前向きで、家族思いでした。
祖母が唯一声を上げて泣いたのが、私がドイツへ旅立つ時でした。私はまた帰って来るから、会えるからと思っていましたが、祖母は今生の別れだと悟っていたのでしょう…私が玄関の外に出ても、ずっと大声で泣いていました。
事実、それが最後になりました。
私は新しい命をドイツで授かり、
祖母は旅立っていきました。
今も祖母には、心の中で様々な報告をします。
きっと今も、私をみて喜んでくれていると思います。
どんな時も味方でしたし、誰よりも褒めてくれました。
今、私が自信を持って生きていけるのは、
祖母の力だと思います。
幼少期の養育者の考え方や行動は、人間の一生に大きな影響を与えることを、私は祖母から学びました。
皆さんの参考になれば幸いです☺️
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