公文式に入会して教室に通い始めたばかりの子は、ほかの人の話し声や出入りの物音で集中が切れて顔を上げてしまいます。しかし、二か月も経つと与えられたプリントをやり終えるまで顔を上げない集中力がつきます。なぜでしょうか?
①プリントが小さめだから
②周りの子も集中しているから
③指導者の檄が飛ぶから(^^)/
一つ一つ見ていきます。
①子どもたちの姿を見ていると、集中している子は学習している間ほとんど体が動きません。視線はプリントに固定、利き手は鉛筆を離さない、もう片方の手はプリントをおさえるために机の上というスタイルです。視線をプリントから離さず、手を止めない時間が長くなることを「集中力がつく」と定義するならば、視線を大きく動かさずにできる公文のプリントサイズは集中力をつける基礎トレにちょうど良いサイズです。
②公文式では自分の学力にちょうどのプリントで学習しています。どの子も自分の力を目いっぱい使っています。ぼーっとしていても進んでいく学校の授業とは違い、自分の鉛筆が動かないことには、プリントが減っていかない。みんな必死。やらなきゃ永遠に帰れない。「集中しないと。やばい。」と身をもって感じるのかもしれません。
③「指導者の檄が飛ぶ」というのは、日限山3丁目教室のウリです。どうやったら集中できるのかやり方を教え、やらせてみて、できたらほめる、できていなければすぐさま注意する。はっきりと注意されるから、自分のどこが良くないのかがわかりやすい。なまけ心が出てきてもすぐさま檄! 自分で自分の限界を越え、集中をより深く・より長くすることは、子ども一人では難しい。それゆえ、指導者の厳しい檄は集中力を伸ばすための愛の鞭。栄養ドリンクのようなものなのかもしれません。
教室での学習の仕組みになれて、集中して学習ができるようになると、指導者の近くの席から離れ自立席で学習します。そのころには、入会当初どこかとろんとしていた目つきが、キリッとしたものに代わります。